誰にでも好き嫌いはある。性格や考え方が合う人もいれば、そうでない人もいる。なんとなく好き、なんとなく嫌い、なんてこともあるだろう。ただ、それをそう思うだけでは終わらせられない人がいる。
好きな場合はいい。問題は嫌いな場合だ。
自分を肯定してくれて、応援してくれる人を本気で嫌がる人はいないだろう。もちろん、指摘や意見交換は大切だし、反対意見は自分の視野を広げるチャンスにもなる。ただ、そこに「この人を嫌な気持ちにさせてやろう」とか「自分のストレス解消になる」なんて気持ちが含まれていては困る。
最近では、SNSでの誹謗中傷やいじめなどで、自らの命を絶ってしまうという悲しいニュースをよく耳にする。本当にあってはならないことだと思う。
SNSでの誹謗中傷はサッカー界にも存在する。ミスをした選手や結果の出ないクラブに対してSNSで誹謗中傷するコメントが書かれる。選手個人のSNSアカウントに直接メッセージが届く。
僕は見ないようにしているが、各クラブの匿名掲示板なんかはかなり酷い内容もあるとよく聞く。
この問題をより難しくしているのは「指摘や意見」と「誹謗中傷」の境界線が極めて曖昧で、個人の解釈次第であるという認識が強い点にあると思う。
「あんな使えないクソ選手いらねぇよ」という暴言もチームが強くなるための意見だと言い張る人もいるだろう。
人の発言の真意はその人にしか分からない。だけど、それを盾に人を傷つけてはならない。もう少し受け取った側の気持ちを考えるべきだと思う。
SNSが普及した今、その声は本人まで届く事も珍しくはない。僕たち選手も人間である。当然、傷つく。
勝ちたい。チームの力になりたい。そう思わない選手は誰一人としていない。それでも、結果が出なければプロのサッカー選手として責任を問われるのは重々承知している。
だが、誹謗中傷は違う。
容姿や人格、家族やプライベートなことまで否定される筋合いはない。僕たちにもそれぞれの考えや生き方がある。大切なものがある。守りたいものがある。
どんな時でも温かく見守ってくれ、優しく拍手だけを送ってくれ、なんて言うつもりはない。チームを良くしたいという同じ志を持った叱咤激励はありがたく受け取る。
でも、何度も言うが誹謗中傷は何も生まない。何一つとして良いことはない。
そして極めつけは、それらの発言が「目立ちやすい」ことだ。99の応援と1の誹謗中傷だったとしても、その1が不思議なくらい目立つ。せっかくの声援や応援が台無しになるくらい、悪目立ちしてしまうのだ。
捉える側の問題だと言われてしまえばそうなのかもしれないが、多くの選手がこの感覚を理解できるのではないかと思う。
選手も出来ることならば、応援してくれる人たちの気持ちを汲み取って色々なアクションを起こしたい。だけど、スタジアムやSNS上での誹謗中傷を恐れて、結局身動きがとれない人もいるだろう。本当にもったいない。
大半のファンやサポーターが求めてくれていることを、数人の心ない人達のために我慢しなくてはならないのだ。これは選手、サポーター、クラブの全てにとってマイナス要素でしかない。
もう一度、自分の発言が誰かを傷つけてしまわないか、誰かの行動の足枷になってしまわないか、よく考えるべきだと思う。
いつも選手に向けて熱い声援を送り続けてくれている真のファン・サポーターにも記事を通してこんな指摘が伝わってしまうのは本当に心苦しい。ただ、少しでも世の中から誹謗中傷がなくなるようにと願い、この記事を書かせてもらった。
選手、クラブ、サポーターの全てがサッカーを通じて楽しい毎日が過ごせることを切に願っている。
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