僕はなぜ、サッカー選手になったのか。
「サッカー選手になる」という選択は、何か他の選択肢と並列して迷うことはかなり少ないのではないだろうか。
時々、大学卒業時に一般就職の内定先かプロ入りかの選択をする選手もいるが、多数派ではない。進学でいうところの理系か文系か、だったり、就活中のA社かB社か、みたいな話とは大きく異なっている。
それでいうのであれば、AというチームなのかBというチームなのかという選択肢に近いのかもしれない。つまり、かなり早い段階で「プロサッカー選手になる」という唯一無二の目標設定を行なっていることがほとんどだろう。それが意識的なのか無意識になのかはさておき。
それでも、何かしら自分がサッカーを選んだ理由があるはずだ。野球でもバスケットでも良かったわけだし、敢えてサッカーを選んだ理由があるのだろう。
今考えれば「こういう所に惹かれたのかな」とか「サッカーを通じて沢山楽しいことがあったな」みたいな記憶はある。ただ、正直僕は「選んだ」意識が全くない。他のスポーツと悩んだこともなかったし、気づいた時にはサッカーにハマっていた。
大人になればなるほど、自分で自分のやりたいことが見えてくるのだろうけど、サッカー選手を夢見た小学生の僕にはサッカーしかないように感じていた。強いていうならば、幼かった僕の目には、サッカー選手はキラキラしていて、とてもカッコよく見えた。
逆にいうと、サッカー選手に対してそのくらいのことしか感じてなかった。周囲の選手と話していても、おそらく「サッカーを選んだ」感覚を持っている人は珍しいというのが共通認識な気がしている。
今は知らないが、当時はクラスの男子の半分くらいはサッカー選手になりたいと言うほどだったし、いわゆる「定番の夢」だったように思う。
僕たちがした選択といえば、「サッカーを続けるのか、他の道を探すのか」という成長過程における選択であって、最終決断とは少し違う気がしている。
もちろん並列ではなく、サッカーが第一希望であることがほとんどだが、自分を客観視してみて、可能性があるのかないのかを見定めなくてはならない時期がどこかでくる。早いうちに見切りをつける人もいれば、大学卒業ギリギリまで悩む人もいる。
小学生の頃には大半の友達がサッカー選手を夢見ていたのに、だんだんそれを言い続ける人は少なくなっていく。大人になる過程で、それぞれの選択があったのだろう。
そういう意味で言うと、僕たちは「サッカー選手を目指す」という選択をし続けてきたとも言えるのかもしれない。過程での選択だと思っていたものも、もしかすると最終決断の連続だったのかもしれない。
常に漠然と他の選択肢があったはずだが、無意識のうちに、ただひたすら直進するという選択をしてきたのだろう。だとすると、これまでの自分の決断に全く悔いは残らない。実際にプロサッカー選手として仕事をして、沢山の素敵な出会いや経験を重ねているのだから。
僕は今、本当に幸せな時間を過ごしていると実感している。自分の大好きなサッカーを生業とし、多くの方々に応援してもらい、何不自由なく楽しく生活している。
当然苦しいことや辛いこともあるけれど、そんなのは今の充実感に比べたらとても小さなことなのかもしれない。自分が下してきた決断によって掴み取ったこの仕事で、充実した毎日を過ごしている。
このことを誇りに思いたい。
そしてこれからも、悔いの残らない幸せな人生を送りたいと思っている。
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