結構前に、なんとなくこんなことを思ってツイートしたのですが、思った以上に沢山の反応をいただきました。別にウケを狙ったわけではなく、普段から本当に思っていることを書いたのですが、改めて「プロってなんだろう」と考えるキッカケになりました。
プロフェッショナルという言葉の定義を調べても割と曖昧で、「対価を受け取っている」とか「専門的な分野で…」みたいな文言が並んでいます。僕のTwitterのコメント欄にも色々な意見があって、人によって「プロ」の捉え方は千差万別なのだなと感じました。
その中で一つ僕が考えた結論は、「その人の意識次第」なのでは、というところです。
サッカーを例に考えても、これに当てはまるような気がしています。極端な言い方をすれば、プロ契約を結んでお金を貰っていても、意識が低く怠惰で人のために動けない人もいれば、一般的には「アマチュア」と呼ばれる選手の中にも、積極的かつ能動的に他者のために動ける人もいます。
果たしてそれでも、前者がプロで後者がアマチュアだという棲み分けをして良いのでしょうか。
現状の常識で言えば、確かに自分の力で契約を勝ち取って活動しているわけですから「プロフェッショナル」ということになります。100歩譲ってこれをそのまま認めるとしても、後者が「プロじゃない」と容易に片付けられてしまうのは、なんかだ腑に落ちない気がするのです。
「生ぬるいことを言うな」
「金を稼いでこそプロだ」
こんな意見も飛んできそうな気もしますし、サッカーで金銭を貰っていないのだから、一般的な定義的にはそうかもしれません。
でも、一生懸命誰かの役に立とうと奮闘し、高い意識で行動し続けられる人も、ある意味では「プロフェッショナル」と呼べるような気がしてならないのです。
ボランティアでスタジアムの運営をお手伝いしてくださる人も、その道のプロフェッショナルだと思うし、毎日睡眠不足と闘って一生懸命に赤ん坊を育てるママも、育児のプロフェッショナルと呼べるのではないでしょうか。
この方々に報酬は発生していませんが、確実に世の中の大事な役割を担っているし、誰かを幸せにしています。「お金を貰っているかどうか」や「専門的かどうか」なんていう短絡的な判断基準ではなく、もっと広い視野で人に感謝できる世の中になればいいなと思っています。
別に、全ての人が「プロか否か」で人を判断しているとは思っていませんが、中にはいわゆる「アマチュア」の人を軽視しているような感じを受けることもあります。
僕自身がプロサッカー選手を目指したのも、あくまでサッカーに「真剣に」取り組み続けた結果の積み重ねだったように思います。
それぞれがそれぞれの想いやバックボーンを持ち、自分の信念を持って必死に動いている姿は本当に素敵です。
その行為に報酬が発生していようがしてなかろうが、その人がプロ意識を持って本気で取り組んでいるのならばそれはもう「プロフェッショナル」で良いのではないでしょうか。
この考え方は、おそらく正解ではないのだと思います。正論が飛んでくることも覚悟しています。
それでも、スーツを着て毎日働くサラリーマンは凄いし、何十人もの子供のお世話をする先生や保育士さんは凄い。仕事と育児を両立するワーママは凄いし、目標に向かって勉強を頑張る受験生は勉強のプロフェッショナル。毎日泣き叫ぶ赤ちゃんは成長のプロフェッショナルなのです。
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、こう考えるだけで沢山の人が幸せに過ごせるのであれば、たまにはみんなでそう褒め称えあって、ニコニコしながら毎日を過ごしましょうよ、というだけの話です。
導入こそ「プロとは何か」みたいな堅い入りになってしまいましたが、要はこれが言いたかっただけです。
皆さん、毎日お疲れ様です。今日も頑張りましょう!
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