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根性論の必要性を考える

伝えたいこと

気持ち」「気合い」「根性
スポーツの世界では特に重要視されている。


勝負の世界において必要不可欠な要素である一方で、行き過ぎたそれは時に人を壊しかねない。そもそも、能力にそれぞれのキャパシティがあるように、精神的な強度にもまた同じように限界があると考えている。

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根性論の必要性

今回は「根性論」について少し深掘りして考えてみたいと思う。僕は専門的な知識は持ち合わせていないが、選手としてプレーする中で感じた部分を踏まえながらお話し出来ればと思う。

大切なのはバランス

結論から言うと、大切なのは根性論とスキル論の調和でありバランスであると思っている。

月並みな結論ではあるが、やはり何事も考えが偏っていてはどこかに問題が生じる。何か人とは違う飛び抜けたことを成し遂げようとする場合には偏りが必要な瞬間もあるとは思うが、人の精神衛生面を考えれば、ベストな状況だとは思えない。

個人的には、根性論が全てだという考えは嫌いだし、反対にスキルさえあればなんとかなるという考えも好きではない

「お前らの気持ちが足りないから負けたんだ」と学生時代に当時の監督から言われたことを覚えている。その時に僕が思ったことは二つ。

  1. 自分にも勝ちたい気持ちは十分にあった
  2. 気持ちが足りないと判断した理由は何か?

試合をする以上、勝ちたいと思って闘うのは当然だし、負けようと思って負けるヤツはいない。それでもどちらか一方が負ける。当時の自分も本気で勝ちたいと思っていたが故に、監督の言葉を素直に受け入れられなかった。

そして①→②の流れ、つまり気持ちは十分にあったのに足りないと思われてしまったという部分に重要なポイントがあると感じた。

「根性」の表現方法

気持ちというのは、何かしらのプレーに乗せて表現しないと人には伝わらないということだ。内に秘めているだけでは側から見れば分からない。選手によっては、この部分にかなりのもどかしさを感じていることも多い。

どういうことかというと、客観的に見て激しいタックルや豊富な運動量を売りにしている選手は総じて「気持ちが入っている」と評価されやすい傾向にある。確かにわかりやすし、目に留まりやすい。

反対に繊細なタッチやしなやかな動きを持ち味としている選手は、それがわかりづらい。力まずに肩の力を抜いてプレーする姿や冷静に淡々とプレー様子を「気持ちが足りない」と評価されてしまうことも少なくない。

同じ勝利を目指す上で磨き上げたプレーでも、その醸し出す雰囲気によって気持ちの有無が判定基準になってしまう。加えて、前者が後者の特徴を要求されることはあまりないが、後者が前者のような振る舞いを要求されることは多々ある。

「気持ち」も能力の一つ

気持ちの部分はすぐにでも表現できるし改善できるという捉えられ方をされやすい。ただ、ここに関しての僕の意見は、長年培ってきた精神力や技術力はどちらも同じくらい価値があり、本質的にはそう簡単に構築されるものではないということだ。

念のために僕の理想を話しておくと、前者と後者のちょうど中間を目指している。というかそこが僕自身が生き残っていくために必要なポジションだと思っている。

圧倒的なファイターでもなければ、天性のボールタッチ感覚を持つファンタジスタでもないので、意識的に両方をトレーニングし、生き残るしかないのだ。

だからこそどちらかに磨きがかかっている選手を見ると羨ましく思う一方で、ある意味見え方の部分で苦労もあるだろうなと感じている。

根性が必要な瞬間

では、僕たちに根性が求められるときはどんなときなのだろうか。それは相手との力の差が拮抗している時だと考えている。

圧倒的なスキルレベルの差があれば、気持ちなど入っていなくても楽勝で勝てる。子供とのサッカーを考えればわかりやすい。子供と勝負するのに気合いをいれて臨まなくても、簡単に勝てる。

つまり、実力差がない時にこそ「根性論」が必要になってくるのだ。

「勝ちたいという気持ちがベースにあってこその戦術や個人スキルだ」とよく言われるが、この場合は、両チームの勝ちたいという気持ちが均衡しているからこそ最後にちょっとしたレベルの差が出ることを指しているが、逆もあると思う。

実力差が均衡しているからこそ、最後に精神力が勝敗を左右するパターンも大いにあり得る。

天皇杯などのカテゴリーが関係ないカップ戦などでジャイアントキリングが度々起こるのも、良い例だと思う。圧倒的に力の差があると思われているが、勢いや勝利への執念で結果が左右されるということはそれほど大きな力の差がないということだと思う。本当に圧倒的な差があれば下のカテゴリーのチームは絶対に勝てないはずだ。

まとめ:根性とスキルは両輪

ここまで少々ややこしい話をしてきたが、結局僕が言いたいことは根性とスキルは両輪であるということだ。どちらかが木の幹でどちらかが枝葉なのではなく、同時に回転してこそ力を発揮する両輪だ。

気持ちがベースでスキルがその上に積み上がる、という言い回しも理解はできるが、だとすればスキルだけで勝てる可能性は0になる。先程も話したが、圧倒的な力の差があればスキルだけで勝てることを考えれば、この2つが両輪であるという考え方の方が僕としてはしっくりくる。

気持ちとスキルの歯車が噛み合い、その両輪のサイズを大きくしていくことで、より大きな力が発揮され、勝利に近づく。どちらか一方に偏るのではなく、柔軟な考え方をもってこの2つの要素と向き合っていければと思う。

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