結果が出ない時。思うようなプレーが出来なかった時。僕たちは野次やブーイングを浴びます。
プロのサッカー選手という仕事をしている以上、多くの選手が経験することだと思います。お金を払って見に来た試合で情けない試合を見せられれば、ストレスが溜まるのも当然ということも理解できます。
今回は、その野次やブーイングを選手はどう受け止めているのか、一人の選手としてお話しできればと思います。もちろん、これは僕個人の受け止め方、感情であって誰しもが同じではないということを前提として読んでいただけたらと思います。
下記の記事でも話しましたが、試合やチームに関係のない容姿や家族に関すること、人格を否定されるようなことは僕も許せません。
こういった罵声も受けたことはありますが、今回は試合結果やチーム状況へのものに限定してお話しします。
僕がJリーガーになってから、結果の出ない苦しい時期は何度となくありました。そして沢山の野次やブーイングも浴びてきました。
結論から言うと、悲しみとも怒りともとれない、なんとも「もどかしい」感情になります。
頭の中では、結果によってブーイングを受けるのは当然だということを理解しています。お金を払って応援して下さっているわけだから、怒りの感情を表現するのは当たり前のことです。
しかし、結果は良くなかったものの「自分やチームが全力を尽くさなかったか?」と問われればそれもまた違います。
サポーターのため、クラブのため、家族のため、そして自分自身の人生のために戦っている選手が、勝ちたくないはずはないのです。
その気持ちとは裏腹に、内容によっては観ている人に「闘う気持ちがない」ように映ってしまうこともしばしばあります。その原因は様々な要因が絡み合い、特定することが難しい場合が多く、伝わりにくいのも事実だと思います。
ただ、応援している方にはそんなことは関係ありません。結果で示さなければなりません。
このなんとも言い表すことの難しい伝わりにくさ、捉え方のねじれこそが僕が感じる「もどかしさ」に繋がっているのではないかと思います。
僕は決して、野次やブーイングをしてほしくないと言っているわけではありません。むしろ人間の感情として当然であると思っています。
仮に、サポーターと選手が対話できる距離感にあったとしたら、この感情は比較的受け止めやすくなるのではないでしょうか。
スタジアムの構造上、サポーターは叱咤激励の気持ちを表現する方法が限られてしまっているし、選手はそれを自分なりに解釈して受け止めなければなりません。これは想像以上に難易度の高い関係性かもしれません。
愛のあるブーイングに対して、選手がしっかりと受け止め、奮起する。これが理想系だと考えています。
サポーターも人間であり、選手も人間です。そして同じクラブを愛する同志です。野次やブーイングがないチームを目指す必要はないと思います。
両者の強固な信頼関係のもとに、互いを奮い立たせ、同じ目標へ向かうための合図になれば最高ではないでしょうか。チームの勝利を願う者同士、時には励まし合い、時には厳しい声を頂いて、一丸となって戦っていただければ幸いです。
どんな時も全力を尽くすことを誓います。
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